6月11日、AJAJ会友、山口京一さんの講話会が開催されました。
ご存じのとおり、山口京一さんはわれわれの大先輩であり、自動車ジャーナリズム業界では知らぬものなき有名人です。
八重洲出版の酒井文人社長の知己を得たのをきっかけに60年代に自動車雑誌へ寄稿をはじめられ、その後アメリカの有力誌ロード&トラックなど海外にも仕事の輪をひろげるなど、たいへん幅広い活躍をなさっています。
さらに、現在はアメリカのSAE(自動車技術者協会)と日本のJSAE(自動車技術会)の橋渡しをされるなど、ジャーナリストの枠を超えてたいへん意義のある仕事を続けられていることは敬服するより他ありません。
筆者は個人的にも山京さん(失礼とは思いますが愛称で呼ぶことをお許しください)の大ファンで、試乗会などでお話をうかがうのが無上の楽しみ。昔のエピソードも最新の技術論も、要するに山京さんの話は抜群に面白いし、かつまたたいへん勉強になるのです。
そんな山京さんの話をもっと多くの人に知ってもらえたら大いに意義があるのに…。そんなことを考えていたのは筆者だけではなかったようで、中村孝仁理事のご尽力で今回この講演会が実現することになりました。
講演の内容としては、山京さんの生い立ちからひもとき、米空軍の軍属として車両管理をされたこと、そこからバルコムトレーディングに転職されて浅間火山レースに関わったエピソード、その後パンアメリカン航空に勤務してジャーナリストと2足のわらじを履いていた時代など、時系列に沿ってのお話でしたが、それぞれに興味深いエピソードが満載。いくら時間があっても聞き足りない思いでした。
多くのエピソードの中からとくに重要な証言だと思うのは、バルコムトレーディング時代、浅間火山レースにBMWとBSAのレーシングバイクを走らせる話です。1959年のメアサマモは、汚れた英雄のモデルとなった伊藤史朗(BMW)と19歳の高橋国光(BSA)がワンツーフィニッシュを果たした伝説的なレースですが、そのリアルな内幕が当事者から聞けるなんて本当にすごいことです。
また、70年代からの長い海外取材で培ったキラ星のような山京人脈のエピソードもタメ息もので、ボブ・ラッツのBMW時代からのつきあいや、現在も続くアレックス・モールトンとの交流などは、なにか歴史書でも読んでいるかのごとし。しつこいようですが本当にすごい。
試乗したクルマにいたっては、60年代にメルセデスの300SLR(SLではないですよ)に乗られてるといえば多言は要さないでしょう。
いやはや、大先輩の話はとてつもなく面白かった。中村理事の構想ではこの講演会をシリーズ化する計画があるそうですから、今回欠席された会員も次回は是非参加されることをお勧めいたします。
■参加者(敬称略、五十音順) |
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石川真禧照、加瀬幸長、川上完、日下部保雄、国沢光宏、菰田潔、鈴木健一、鈴木直也、鈴木誠男、高根英幸、高山正寛、滝口博雄、立花啓毅、津々見友彦、徳大寺有恒、中村孝仁、西村直人、伏木悦郎、堀越保、松下宏、丸茂亜紀子、山崎公義、山崎元裕、吉田由美 |