東日本大震災活動 卜部敏治レポート

報告日:2011年4月9日

小生はランドローバーオーナーズクラブジャパン(LROCJ)に所属し、自然災害に対処するNPO法人エマージェンシー・マネジメント・アカデミー(EMA)にも関わっている。

大震災で東北方面のLROCJ会員数名も被災する。1人は岩手県大槌町吉里吉里地区にある古寺、吉祥寺の住職を務めている。吉祥寺は吉里吉里地区の津波避難所に指定されており、大震災直後から約150名の被災者が避難している。

震災発生直後から吉祥寺に避難している被災者に対する援助活動を開始する。LROCJメンバーに支援物資と支援金の提供を呼びかけ、3月21日に第一次支援物資搬送チームを編成し、提供された支援物資に加え、灯油1200l、軽油400l、ガソリン140lを3台の車両で運搬する。第一次搬送は今回のAJAJボランティア活動支援体制確立以前の活動でしたので交通費の請求はしません。参考として記述する。

当初は一回の支援物資搬送で活動終了という考えもあったが、実際に被災地に足を踏み入れ、自分の目で被災状況を見ると支援活動は半年以上必要であると感じる。被災地の状況は表現できないほど悲惨である。津波に家屋を流された被災者は着の身着のままであり、私物は何も持っていない。

被災状況をLORCJに報告するとさらに支援物資が集まり、4月2日に再度の物資と燃料搬送および湧き水を利用した仮設水道敷設と簡易風呂設置を目的に第二次支援物資搬送チームを編成する。車両体制は3トン積みアルミバン1台、ピックアップトラック2台。小生はシボレー・フルサイズピックアップトラック4WDを担当する。アルミバンに支援物資を積載し、ピックアップトラックは1台に簡易風呂および仮設水道設備を搭載し、小生が担当するピックアップには主に燃料を積載する。

支援物資の集積地とした鴻巣市を基点に東北道経由釜石自動車道~釜石市~大槌町をルートとし距離は約650Kmになる。4月1日夜、鴻巣市の支援物資集積地で物資をアルミバンおよびピックアップに積載し深夜に出発する。東北道は福島県に入ると路面のうねりや橋梁部分で段差が生じており慎重な運転が必要。現地到着は4月2日午前10時過ぎ。直ちに支援物資の配布を開始する。沸き水から避難所までのホース敷設、風呂の設置なども同時並行で実施する。作業終了は夕方5時ごろになる。当初は一泊し、翌日、片付け作業を行う予定だったが、支援参加者に急用が発生したこともあり、同日には帰路に向う。鴻巣市に帰着したのは4月3日早朝4時頃となる。片付け後、帰宅する。

災害復興は遅れている。

3月21日に初めて大槌町に入ったときは、道路上の瓦礫排除が始まった段階であった。瓦礫は道端にうずたかく積まれていた。2回目の被災地入りとなった4月2日は、道端の瓦礫も排除されつつあり、通行はしやすくなっていた。しかし、災害後3週間も経過しているのに吉里吉里地区の破壊された家屋は一切、手を付けられていない状態である。当日、警視庁の機動隊が瓦礫に下にいると思われる行方不明者捜索を開始したばかりであった。

大槌町は周辺の釜石市などと比べると小さな町であり、さらに吉里吉里地区は大槌町の外れにある。支援物資配給も見過ごされがちであり、地区住民は充実していないと訴えている。このようなことから我々は今後も支援物資の搬送を続ける必要があると感じる。

第三次支援活動を4月第三週に計画している。第三次ではウィンチを装備した4WD を中心に編成し、安全な場所の瓦礫や流された大木などをウィンチあるいは牽引で撤去する復興支援活動を実施する。この復興支援活動は大槌町社会福祉協議会ボランティアセンターにて承認済みです。

以上、岩手県大槌町吉里吉里地区に於ける災害復興支援活動の報告です。