東日本大震災活動 津々見友彦レポート

●キャンターチームは水の配達を

トラック部隊の近田さんと津々見は夕方までスタンバイ。で、私もニーズを捜しに近田さんのバイクでパトロールに。基本的に道路上にがれきはありませんが、その代わり汚泥が乾いてとても埃っぽく、マスクとゴーグルは必需品です。左右のがれきのため道路は狭く、その上、意外にも通行量は多く、時には大渋滞に。が、バイクはありがたいもので、クルマの隙間を縫って走れ、また狭い道路でも停めて民家に飛び込みニーズの聞き込みが出来、バイク大活躍です。

このニーズ開拓で、断水している石巻の被災が小さいか、殆ど被災しなかった民家では飲み水がなく水が最大の関心事でした。

一軒一軒訪ねて歩きました。が、東北の方はとても慎み深く、既に水を汲んで来た方達は、今ありますから・・・と、遠慮されます。荷物を持って歩いていた老夫人に道を聞きましたら、わざわざ重い荷物を持ったまま、親切に案内して頂きました。本当に東北の方は他人に温かで素晴らしい人達でした。こんな素敵な人達には何とか貢献したいと強く感じました。

夕方、歩いていた別の老婦人に水は?とお聞きしたら「是非」とのこと。しかし当日は遅いので翌日自宅に届けることとなりました。

 

●400リッターの水を配布

東日本大震災 スタンド 車 家朝、石巻市内の昨日の老婦人のアパートに向かいました。途中はがれきの山、まるで映画のセットか、昔見た原爆後の広島の写真さながらで、戦場に来たみたい。民家に突っ込んだクルマ。転覆したまま道路横に残されたクルマ。まだ新車のように綺麗なボディのクルマも沢山あり、オーナーさんの無念な気持が伝わります。

iPhoneの威力で、ピタリと初めての場所にたどりつけ。老婦人たちが浸水したけど残ったアパートの二階に4人で住んでいました。このようになまじ自宅が残って住んでいる方々は水を給水所まで汲みに行く必要があり、女性には大変な力仕事になります。我々は80リッターの水を二階まで持って行きましたが、さすがに一気にやるとくたびれましたが、近田さんが殆どは一人で担いで配達し、本当に近田さん感謝です。

 

●手持ちの水はすべて配達。美味しかったカレーのごちそう。

カレーその後、近所に声を掛けて手持ちの水80リッターは全て配ってしまい、我々もまた給水所に行き水を貰いました。航空自衛隊が給水を担当。若い隊員の方々が、重いタンクをかついでトラックに載せてくださり、助かりました。自衛隊さんありがとう。

ある民家は津波で殆ど1階が浸水。その自宅前の庭で昼食をとってました。5~6人の家族の人達です。「水は?」と声をかけましたら、「是非」とやかん、タンクからペットボトルまでありとあらゆる容器に給水。すると、「カレー食べませんか?」となんとご馳走に。これが抜群に美味しい。東京でカレーのお店をしたら絶対に流行ると思いました。

またもうひとつ、鍋に、黒い汁が煮てあり、それも勧められました。実は見た目「黒い煮汁」なので内心ちょっと遠慮したい!と、思ったのですが、「ま、いいか!」と覚悟して一口頂いた途端、「うあ!旨い」、その美味しさにびっくり。「わかめスープ」だったのです。あらためて東北の食の豊富さ、そして温かな心の人達に感劇しました。とても素敵な人達で、出来たら幸せな時に本当はお会いしたかったです。

 

●セレナの送迎とキャンターの水配送

セレナはマッサージチームの送迎支援とキャンターは水400リッターの配送支援をしました。

このような直接支援のほかに買い物をしたり、イベントに出かけたりして経済を活性化するのも災害支援だと思いますので、どんどん自粛せずやって欲しいものです。

ランチパックそれに今回の我々のような直接支援も実は経費がかかります、「災害支援に対する「支援」も是非して頂きたいと思います。今回はAJAJから燃料代と高速料金のサポートをして貰ったのでとても助かりました。

しかし、事前のクルマの借り出し、食料や宿泊の準備、また事後のクルマの洗車、返却など労力と時間も必要で結構大変です。

でも、6名のチーム全員で分担しそれぞれが担当したので、スムーズに今回のプロジェクトが行えました。AJAJはじめ参加したチームの皆さんに感謝します。

簡易トイレ