東日本大震災活動 飯田裕子レポート

東日本大震災活動 被災地マップ苦労した点は一つ、“道に迷うこと”であった。仙台に向かう前から車載カーナビが使えないことはうかがっていたが、旧さに加え被災地の道路も変わり果ててしまっているところも少なくなかったからだった。さらに山間部の中にある小さな避難所(脳速創作活動センター)では幹線道路に看板もなく、不安になりながら農道を進むこともあった。避難所名がまた似て非なることもあり…。近隣の住民の方がとても親切に道を教えてくださり助けていただく場面もあった。おかげで避難所の方が夕食を始める17時までには活動を終えなければいけなかったのだが、最後の『農作活動センター』は迷いながら何とか間に合った次第だ。

事務所までの帰路は大部分が渋滞。一般道の沿道には廃材や使えなくなってしまった家財道具などが積み上げられる中を走った。信号も消えて警察官が交通整理を行っているところもあった。仙台市内はラッシュアワーの時間帯と重なり混雑はさらに激しかったが、これは少しずつ日常を取り戻しつつあるとのことだ。

この日、慣れない土地で交通環境も悪いなかで道に迷いはしたものの、行くべき避難所を無事まわることができてよかった、というのが一日を終えた感想だった。

 

●まとめ

東日本大震災活動 活動風景今回、私は“ボランティアドライバー”というカタチでボランティア活動に参加するのも震災後に被災地に向かうのも初めてだった。しかし『つなプロ』ボランティアドライバー活動についてはすでに行かれていた方もおり、支援内容や方法、諸注意などの連絡もいただいていたため、“たった一日”のお手伝いであったが、比較的スムーズに行えたと思う。すでに行かれて活動直後に情報を展開してくださった会員の方々、ならびに『つなプロ』との窓口になって日程調整や保険手続きなどを行ってくださった鈴木健一会員にお礼を申し上げたい(ありがとうございました)。

また、一緒に仙台に行ってくださった高平氏は元二玄社でCG、NAVIに携わっていた方だ。今回AJAJ会員でなくとも費用や効率面を考慮し、できれば二人以上で行ってもらいたいとのことで、何人かの会員の方とも日程を調整したが都合がつかず…。そこで仙台にご実家があり、震災後すでに何度か仙台に行かれていた高平氏にお話しをし、ふたつ返事で同行を快諾していただいた。

最後に今後も募集があれば継続的にお手伝いをさせていただきたいと思う。