震災によって、クルマは需要なライフラインであることを改めて痛感しました。そして被災地では、破壊した街と交通網の中で「安全な移動」の確保が求められ、ボランティアドライバーという活動によって、人々の役に立てることがわかりました。
避難、物資の輸送、瓦礫などの撤去、といった直接的な役割もありますが、今回は現地で活動するボランティアスタッフの送迎という間接的な役割でした。スタッフの宿舎から、避難所を数カ所まわり、また宿舎へ送り届けるという内容です。
参加したのは
- 4月16日/震災復興プロジェクト「つなプロ」のボランティアドライバー
- 5月23日~26日(3泊4日)/NPO法人モビリティ21「オペレーション クルマの仲間たち」のボランティアドライバー
です。
道路状況は、4月の時点で瓦礫は歩道によけられ、車両の通行はほとんどの場所で可能でした。ただ、コンクリートの隆起や亀裂、舗装そのものがなくなりダートになっているところ、地盤沈下によって水が慢性的に溜まっているところ、強風によって看板や瓦礫などが飛んできて通行を妨げている個所、などは多数。5月でも信号が不能の交差点は至る所にあり、橋などで通行止めが目立ちました。
また、5月時点では三陸道の渋滞が激しく(朝夕は数十kmの渋滞が発生)、通行可否の状況も目まぐるしく変わるため、ナビゲーションに頼ることができず苦労しました。同行した女性が紙の地図を持参しており、そこに前スタッフからの申し送りによる情報や、現地でキャッチした情報を書き込み、即席のドライブマニュアルを作成したほどです。
そんな時に重宝したのは、現地のコミュニティラジオによる情報でした。とくに「ラジオ石巻」(FM76.4)は交通情報などを細かく報道しており、ありがたかったです。運転しながら聴けるラジオの重要性にも、再認識させられました。
最も憂慮したのは、多発する余震への対応でした。とくに海沿いを走っている際には、津波の発生に備えて常に避難経路を考えておくことが重要ですが、土地勘のない私たちはそれが困難で、不安の元でした。
もともとはその地区の「避難場所」を示す看板があったのでしょうが、今はそれも流れてしまったのか、周囲を見渡してもなかなか見つけられません。日本人の私たちでもこのような状況なので、外国人や漢字の読めない子供はさらに不安だろうと感じました。
これを機に、すべての地区で漢字、ひらがな、英語、韓国語、中国語、アラビア語など併記の避難案内を提示し、その存在を周知させるべきだと思います。
最後に、今回のボランティア活動によって、いつも以上に「人を乗せるための運転」の大切さを痛感しました。荒れた路面での乗り心地は、運転席と後席では違います。不意の急ブレーキや急ハンドルは、後席の人ほどダメージを受けます。こうした視点で運転すると、ドライバーの腕だけではなく、クルマ自体の弱点も浮き彫りになり、勉強になりました。
これからの試乗レポート、クルマの評価では、この経験を生かしていきたいと思います。
また、ボランティアスタッフの送迎という活動は終わりますが、被災地ではまだまだ、お年寄りや子供連れのママなど、「安全な移動」を求めている方々が多数いらっしゃると思います。今後も役に立てる機会があれば、積極的に参加したいと思っています。