KYB、というよりカヤバと言ったほうが、ちょっと自動車好きなら、ショックアブソーバーや油圧機器のメーカーとして誰もが知っている。特に岐阜県や愛知県では地元の企業として有名で、クルマに興味が無い女性にも知られた存在。今回も、地元のボクは、出かけようとしたら近所のおばちゃんが「何処行くの?」と尋ねてきたので、「ちょっとカヤバ。」と答えたら「ああ、可児ね。」と返された。それぐらい有名なのだが、基本的にはOEMのメーカーとしてのイメージが強いことは否定できない。
KYBの勉強会は、2015年8月に参加して、今回は2度目の参加になる。前回の勉強会で驚かされたのは、OEMメーカーとしてのイメージを一掃してくれたことだった。悪い言い方をすれば、多くのOEMメーカーと同様、自動車メーカーの依頼に応える技術力やノウハウ、生産技術は持っているが、それ以上を望むことは出来ないと思っていた。ところが、それはまったくの間違いで、ほとんど全てをゼロから自社で一貫生産できる工場設備はもちろん、新製品の開発能力や、サスペンションに求められるアナログ的な人的能力など、あらゆる点でOEMメーカーの域を超えていたのだ。しかも、将来に向けての明確なビジョンを持っているように感じた。
もともと、KYBは、モノづくりのパイオニアで、1919年に創業者の萱場四郎さんが萱場発明研究所を設立したことに始まる。その後1935年に株式会社萱場製作所を創立。明治、大正、昭和と日本の国家事業である軍需産業にも関わりを持ち、特に油圧緩和装置の技術で大きな功績を残す。もちろん第2次大戦後は、それを平和利用していくわけだが、現在では自動車用ショックアブソーバー以外にも、電動パワーステアリング(ESP)、航空機や新幹線の足回りや、建築の免震装置、産業機械や特装車両、土木建設機械など、様々な油圧装置を手がけている。言い換えれば、『油圧のKYB』、油圧のエキスパートであり、創造性や独創性が根底に息づいているのである。
前回の勉強会では技術力や生産技術、ESPなどショックアブソーバー以外の製品紹介、さらに開発実験センター(テストコース)では、新技術のテストや様々な乗り比べなど充実した内容であった。それから2年余り。今回は、前回の内容を基本にさらに充実したものとなっていた。中でも目を引いたのはコンパクトラインと呼ばれる新しい生産ラインだ。KYBではショックアブソーバーのアウターを鋼板を曲げて作るところから塗装まで、一貫して行っているが、当然かなりのスペースや人員を必要とする。新しいラインはこれまでの3分の1程度で収まり、さらに人員も3人程度というから驚かされる。結果スペースだけでなく、製品多様化や在庫削減などにも効率的に対応できる。ちなみに、KYBでは、特殊な工作機械のほとんどを自社開発、自社生産しているというから驚かされる。
翌日の開発実験センターでは、テストコースでの試乗がメインとなる。旋廻路と直線路、山岳路の3つのコースが用意され、新型のショックアブソーバーをはじめ、EPSやショックアブソーバーのチューニング違い、さらにCVTポンプなどKYBの製品を存分に試すことができた。さらにシステム実験室では日ごろの実験プログラムを見学するなど充実した内容になっていた。
こうした充実した勉強会とともに、今回、KYBが前面に打ち出してきたのは、KYBブランドの強化とグローバル化だった。OEMメーカーとして、業界では知られる存在ではあるが、一般的な知名度がそれほどではない。それを改善しようというのだ。モータースポーツ活動の再構築もそのひとつで、今年の4月からモータースポーツ部を新設。経営企画部に組み込んで、広報と連携させるのもそのひとつだ。KYBは古くからモータースポーツに関わってきたが、現実には十分なブランディング活動ができていなかった。それを見直していこうというのである。例えば、今年7月のアウディで有名なドイツのチームEKSとのスポンサー契約終結もそのひとつだ。EKSはWRXやDTMなどに参戦し事実上アウディワークスの役割を果たしているが、KYBのロゴが大きく入ったマシンが走るのは社内的にも、社外に対しても、KYBの若々しさを強くアピールできると思う。
こうした活動が功を奏し、KYBは海外でのマーケットシェアも確実に伸ばしている。現在、PSA、ルノー、シェコダ、BMWにOEMしているのもそのひとつだ。とくにPSAへのアプローチは凄いと思う。プジョーは古くからサスペンションは自社開発して多くのメーカーからベンチマークとして、高く評価されてきた。そこへOEMできたということはKYBの技術力の証しというべきだろう。さらに、シェコダとの関係は、世界最大の自動車メーカーであるVWグループとの関係構築にも期待できる。日本の企業としてワールドワイドな活躍は、われわれ日本人にとって大きな誇りだ。
そう言えば、KYB岐阜工場がある可児市土田。「どた」と読むが、とても古い土地柄で、美濃土田城は文明年間に豪族土田氏によって築城され、地名はそれに由来する。その後、城主が生駒氏に移り、多くに武将を輩出したことから、生駒氏の出世城として名高い。さらに、織田信長の生母である土田御前の実家の城でもあり。天下人ゆかりの城としても知られる。ここで、誕生し、ここで生きてきたKYBも現代の出世城として世界へ羽ばたいて欲しい。
■参加者(敬称略、五十音順) |
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会田肇/石川真禧照/内田俊一/岡崎五朗/菰田潔/日下部保夫/鈴木直也/瀬在仁志/高根英幸/立花啓毅/中川和昌/萩原秀輝/松井孝晏/松下宏/松田秀士/森川修/吉田由美 |