2階フロアに行って見ましょう。此処はモーターサイクルの展示スペースになっています。階段を上って右側がモーターサイクルの市販車コーナー、渡り廊下を隔てて左側が市販車(4輪)と汎用機器のコーナーになっています。
此処での注目は、汎用機器のコーナーにあるモンキーZ100(1961年)やホワイトFOX(1972年)などです。特にスノーモビルの小型版であるホワイトFOXは、試作に終わったとは言え、デザイン的にも興味深いものがあります。但し、このライディング・ポジションではコーナリングは事実上不可能です。たぶんその辺りが試作に終わった大きな理由だろうと考えられます。
市販車のコーナーでは、ホンダ初の本格的4輪車であったL700(1965年)でしょう。このモデルは、1963年に発売されたS600の直列4気筒DOHCエンジンの設計を基に、687㏄として搭載していました。キャブレーションはシングル・キャブ、圧縮比も落として実用的なエンジンにしてありました。それでも、当時「日本最速のライトバン」などと言われていました。初期のホンダ車に共通の錆びやすいのが欠点だったようです。
3階に行って見ましょう。此処はモーターサイクルと4輪車のレーシングマシンと外国車コーナーになっています。まず注目すべきは、渡り廊下の展示スペースに在る、カーチス・スペシャル(1924年)とブガッティT35C(1927年)ですね。カーチス・スペシャルは本田宗一郎が16歳で丁稚奉公に入ったアート商会で、社長の榊原郁三や子息の榊原真一と共に造り上げたレーシングカー。ミッチェル車のシャシーに航空機用のカーチスOX‐5型V8エンジンを搭載、トランスミッションやデファレンシャルのケースにオークランド車のものを流用する(ギアそのものは自製だった)という混製車。つまりは、当時工場の中に転がっていた在り合わせの部品を組み合わせたものと言うのが本当でしょう。その後、一時行方不明だったんですが、日本クラシックカークラブの会員の下にあることが判明、1970年代末にホンダがホンダ・インターナショナル・テクニカル・スクールの教材としてホンダが引き取り、完璧なレストレーションが施されました。鈴鹿サーキットの25周年記念イベントでも走って見せたんです。それも、本田宗一郎自身が同乗してですよ。僕もその現場に居たんですが、何故かすごく感激したことを覚えています。
まあ、こうして始まると際限がないのでここら辺りで一先ず終りにしますが、ホンダのファンでなくても、並んでいるバイクと車を見ているだけで時の経つのを忘れてしまいます。訪れる前にクルマやバイクについてのウンチクを貯めておくと、楽しさも倍増するでしょうね。