11月18日、首都高速道路株式会社のご好意で、完成間近の首都高速大橋ジャンクションの見学会が行なわれた。
ご存じのとおり、首都高速道路は都心環状線とそこから放射状に伸びる各路線で構成されているが、いま急ピッチで行なわれているのは中央環状線の整備だ。
平成14年12月に江北ジャンクションから王子を経て板橋ジャンクションにいたる王子線が開通。平成19年12月には熊野町ジャンクションから西新宿ジャンクションまでの山手トンネルが完成。そして、平成22年3月にはこの大橋ジャンクションで3号渋谷線に接続する。
先に開通した西新宿ジャンクションでも、通るたびに「あの狭いところに良くこんなに立体的なジャンクションを造ったもんだ」と感心するが、大橋ジャンクションはさらにスゴい。
山手通り地下を走ってきた中央環状線のクルマは、ループを2回転して3号渋谷線に接続するという計画。最深部で地下36mを走ってきたクルマを地上20m付近を走る3号線に合流させたいのだが、与えられた敷地面積は175m×130mほど。国立競技場ほどのサイズの中で、それを実現しようというのだから、かなりアクロバティックなレイアウトにならざるを得ないわけだ。
こういった中央環状線と大橋ジャンクション建設の経緯などをレクチャー後、実際の工事現場に移動、いままさに工事が進行中の現場を見学した。
まず最初に、ループの内側にある広場(?)に移動する。ここはサッカーピッチほどの広さがあるが、半分は換気システムなどの入る建屋が建設され、残りは多目的広場として使われる予定。まわりを壁に囲まれているせいか、あまり広さを感じない。
続いて、工事中のループ道路を通ってジャンクション最上部へ。2車線のループ道路は路肩も十分で、西新宿ジャンクションほどは狭くない。これは、大橋ジャンクションは東名方面/都心方面どちらへも接続するため。2車線でグルッとループを上がってきたクルマは、赤と青に色分けされた路面標識に従って東名方面と都心方面に分岐してゆく。
さらに上にあがって、ループ構造の屋上に出てみる。この屋上は完成後に緑化され公園として提供されるのだが、螺旋構造の屋上ゆえに当然ながらずーっと斜面が続くことになる。実際にはいくつかの段差で傾斜を吸収するのだが、斜面に作られた人工庭園というのもけっこう珍しいのではなかろうか。
この最上部から見ると、東西に2棟のビルが建設されている。西側の27階建てのビルはほぼ完成し、東側の42階建ては基礎工事のまっ最中だ。「なぜ首都高がビル建設?」と疑問に思うところだが、これはこの大橋ジャンクションが目黒区の大橋地区再開発計画の一環となっているため。ここには、ジャンクション建設のために立ち退いた住民の住まいをはじめ、目黒区の出張所や図書館などの公共施設、さらには店舗やオフィスがはいる予定という。
ふつう、高速道路建設というのは周辺住民に嫌われるものだが、このように地域の再開発計画を巻き込んで地域住民との共生をはかるというのは新しい考え方。いつまで経っても完成にいたらない高井戸インター付近も、このやり方ならすこしは建設計画が進捗するのではなかろうか?
さて、ようやく大橋ジャンクションまでたどり着いた首都高速中央環状線だが、工事はまだまだ終わりではなく、最終的には平成25年度に品川経由で湾岸線に接続して完成を見る予定だ。
中央環状線は都心通過車両のバイパスとして首都高速の初期計画段階から構想されていた道路だが、そのときどきの政治的な事情によって建設が先送りされ続けてきた。先送りのツケは首都高の渋滞というかたちで利用者にしわ寄せされてきたわけだが、その間に失われた膨大なメムダモを考えると、公共事業の優先度を決めるシステムをもう一度しっかり考え直す必要があるといわねばならない。
この大橋ジャンクションの建設が東京都の都市計画として決定されたのは平成2年のことで、それから完成までにほぼ20年の歳月を要している。20年後を見据えて道路計画を立案するのは容易なことじゃないが、「もっと早めに造っておけばノノ」と後悔しないためにも、せめて大泉~世田谷への外環道整備くらいは、実現に向けて頑張って欲しいもんだと思った次第だ。
■参加者(敬称略、五十音順) |
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飯田裕子、石川真禧照、一条孝、太田哲也、岡崎五朗、岡島裕二、加瀬幸長、川端由美、日下部保雄、菰田潔、鈴木健一、鈴木直也、スーザン史子、滝口博雄、立花啓毅、津々見友彦、西村直人、萩原秀輝、伏木悦郎、藤島知子、堀越保、松下宏、三浦健史、森岡和則、森野恭行、山崎公義、吉田匠、吉田由美 |